39) 主計町は浅野川大橋を渡って左岸の一体です。

主計町は、江戸時代の初頭に加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことにちなんで名付けられました。 風情のある町名は1970年に尾張町2丁目に編入されましたが、由緒ある町名を復活させたいという機運の高まりを受けて、1999年に主計町の名前が復活しました。旧町名の復活は全国で初めてのことでした。
明治時代に入って、ひがし茶屋街の前身の「東の廓」が満杯になったことで、新たな旦那衆の遊びの場として形成されました。ひがし茶屋街、にし茶屋街とともに金沢の三茶屋街のひとつに数えられています。(以下詳しい知識は WEB 検索による知識です)